津波によって流された 思い出の品 届けたい

ご挨拶

理事長  野瀬 香織

2011.3.11 14:46 。
この時を境に、仙台市若林区荒浜は跡形もなくなり、「居住禁止区域」となりました。私の両親が家を建て、私たち家族が生活を営んでいた場所です。荒浜には、当時760世帯ほどの家がありました。犠牲になられた方は約180名。

仙台市の中で津波の被害を受けた世帯は、市全体の2%程度にとどまります。月日が流れるにつれて大きくなってくる、内陸部と沿岸部のギャップ。とても苦しい思いをしました。

そんな中、「写真救済プロジェクト」に偶然出会いました。私は引き寄せられるようにボランティアとして参加をして驚きました。県内外から、たくさんの人が震災直後からずっと写真を洗い続けてくれていたのです。

そんなことも知らず、鬱々としていた自分を責めました。私にできることは被災者とボランティアをつなげることだとその時強く思いました。

それから今まで必死に突き進んできました。たくさんの壁にぶち当たり、悩み、苦しみ、涙してきました。しかし、いつもそばに支えてくれる人がたくさんいました。

今、私の手元に、偶然残っていた幼い頃の写真が3枚あります。弟と一緒に写っています。両親が、無理をして買った立派なカメラはもちろんまだフィルムでした。デジカメでは決して表現できない、本当にきれいな写真です。あのカメラで撮った私たち姉弟の写真がたくさんありましたが1枚も見つかっていません。カメラも波にのまれました。

漠然としか言えませんが、きっと、今洗浄をしている写真たちは、誰かにとって必ず必要なものだと思うのです。住む場所を奪われても、思い出は生きています。

今、仮設住宅、みなし仮設で暮らす皆さんにとって必要なことは「生活再建」です。失くした家を再建し、これからの人生をまた強く歩むための基盤を作ること。それが叶って初めて、現実を受け入れ、失った思い出を振り返ることができるのだと思います。

私たちの活動は「今すぐ必要な支援」ではありません。いつの日か、思い出を振り返る心の余裕ができた時、ふと「おもいでかえる」を思い出してくれればいいと思っています。

それまでに、大切な写真をきれいにして保存しておきます。決して焦らず、持ち主の元へ戻る日を待っています。その1枚の写真がこれからの人生を生きるエネルギーになることを願って。

kaori nose
野瀬 香織 <のせ・かおり>
昭和50年生まれ、宮城県仙台市出身。
宮城教育大学卒業後、予備校や専門学校など教育業界で教職につく。
現在はボランティア活動に専念するかたわら、2児の男の子の母親として子育てに奮闘中。
子供たちに東日本大震災を伝えていくことも大切だと考えている。


副理事長  野瀬 智弘

人生初めてのボランティア活動は東日本大震災の災害ボランティア。
TV報道の映像を目の当たりにし、高速道路が開通した2011年4月から会社を1ヶ月間休み、ガソリン携行缶40Lを積んで三重県鈴鹿市から被災地へ車で向かいました。

踏み入れた土地は石巻市。そこは映像では伝わらない惨状でした。瓦礫、ヘドロ、異臭、日本とは思えない光景。まるで違う国に来たのではないかと錯覚しました。
一緒に活動したボランティアさんは、泥まみれ、汗だく、ガラスの破片でケガをしてもなお活動し続ける人達でした。風呂も入れず、水もまともに使えない為、ヘドロの臭いが漂う車中泊の日々でした。

場所を変え岩沼市へ。
こちらでも車中泊しながら、瓦礫の撤去やヘドロかきのボランティアをしていました。
ゴールデンウィークを迎えボランティア数が激増し、一人当たりの活動量は減りました。他に何かできることはないかと一般ボランティアに参加しました。
そこでは津波で流されてしまったアルバムなどの思い出の品を返却する活動をしていました。
今までの瓦礫の撤去等で接してきた方は家がかろうじて残っていますが、アルバムが流されてしまっている方は家を失っているということです。この方々に写真を返す活動は精神的にもタフでないとできません。写真が見つからなくても、話を聞くことで気持ちが落ち着かれる方もいらっしゃいました。

さらにこちらは専属スタッフが管理する体制ができていませんでした。
自分は泥かきよりもこちらを何とかしなくは、と使命感に駆られました。
写真が見つからない方に申し訳ない気持ちと、遺体捜索の片手間でアルバムを拾ってくる自衛隊に任せっきりでは全て回収することが出来ないという思いから、朝6時から自転車で沿岸部に写真を拾いにいきました。車では素通りしてしまうところも自転車では見つけられます。9時からはボランティアセンターを通し、アルバムを干したり、写真を洗浄したりしていました。それが終わると日の沈むまで、また写真を拾いに沿岸部に行く日々でした。

1ヶ月の滞在を経て東海地方に帰っても、被災地でのことが頭から離れません。
それから毎週末通おうと決意しました。
「金曜に定時で仕事を終え、車を走らせれば被災地に着く。土日活動。帰りは日曜の夕方に出発すれば、月曜の出勤に間に合う。」と。鈴鹿サーキットでレースをしていたこともあり、運転には自信がありました。
活動は活発化し展示方法や返却効率アップ、新規会場設営、写真レタッチなどに発展していきました。富士フイルムさんの写真救済サミットにも招待され活動の幅が拡がりました。

2011年12月中旬、仙台市で写真洗浄を始めるがノウハウがないので助けてほしい、との声が上がりました。そこで岩沼市で活動していた仲間と共に仙台入りしました。今まで見た中でダントツに多い写真の量。愕然としましたが、仙台市消防局の方に岩沼市での実績を伝え、我々が展示返却まで携われないか、とお願いをしました。
それが「おもいでかえる」発足の前身となった2012年の中央市民センターでの展示会です。以降は団体概要をご覧ください。

最後に、思い出の写真の中の刻みこまれた記憶のように、震災のことも明るく話せるようになることを願って。
kaori nose
野瀬 智弘 <のせ・ともひろ>
昭和54年生まれ、愛知県あま市出身。
中日本航空専門学校卒業後、三菱重工業(株)に入社。航空宇宙産業に従事。
地元消防団で約15年間在籍し、分団長も経験。
2007~2009年鈴鹿サーキットでフォーミュラカーレース(スーパーFJ)に参戦。
2011年東日本大震災直後から宮城県でボランティア活動に従事。
2011年秋、紀伊半島の豪雨災害ボランティアにも参加。
2011年12月~ 仙台市津波流出写真等の展示返却事業に関わる。
以降、各地域(丹波市土砂災害、常総市豪雨災害等)の災害ボランティアに参加。
さらに現在居住地の蟹江町消防団に入団し、地域防災の要として活躍中。
消防団分団長経験を活かし、防災士の資格も取得。
東日本大震災の教訓を多くの人に広めたいと願う。

powered by Quick Homepage Maker 4.91
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional